文学部などに代表される、人文学系の学問の不要論が叫ばれて久しいです。
「それを学んで何か意味があるの? 役立つの?」という議論ですね。
そんな矢先、こんなニュースを目にしました。
文系人材が「余る」可能性について言及した内容です。
<文系大卒」、2040年には30万人余剰 経産省試算>
https://www.kyoiku-press.com/post-296848/
しかし、塾においてこの推計を
「文系人材は30万人余るらしいから、理系にしたほうが低リスク」などという
短絡的な進路サポートの判断材料として捉えるべきではないと思います。
私はこのニュースについて
「知識そのものより、知識を活かし変化させる力」の価値を再提示していると感じました。
学習指導要領でも指摘されている、「知識・技能」をいかに活用できるか、という視点です。
塾経営者としても、ここに注目すべきではないかと思います。
「数学は嫌いだけど国語は得意」「理系科目には興味がないけど英語は好き」
こうした生徒さんは、従来「文系向き」と見なされがちですよね。
しかし実は、社会の実務ではこの枠組みを超えたタスク処理が必要です。
「数学的思考×伝える力」「デザインセンス×論理構成力」などの
異種スキルの掛け合わせが求められます。
「自分は文系だから、理系だから」というフィルターを、生徒さんが自分で自分にかけることは、
(特に中高生において)可能性を閉ざしてしまう行為とも言えるものです。
それもあって、近年日本でも、文理融合を進める教科横断教育が注目されており、
アメリカの大学では、そうした教育を経験してきた卒業生は
コミュニケーション力や批判的思考力、チームワーク力が強いと報告されています 。
AI時代の現代および未来なら
「AIスキルも持ちながら、倫理・文章表現もできる人材」が重宝されるかもしれませんね。
では、塾でどんな取り組みができるでしょうか。
1.教科横断プロジェクト型授業
例えば「あるトピック(身近な社会問題や環境課題)」をテーマに、
理科・社会・国語・英語など複数教科で取材・分析・発信などを行います。
これは学校の事例ですが、実際に、田園調布学園中等部では
日本古来の「家紋」を数学の作図法で再現し、デザインの中の幾何学的構造を学ぶ授業や、
美術作品の評論文を読解て、評価根拠を論理で考える授業などが行われているそうです。
2.プロセス・思考を言語化させる練習
数学の解答プロセスを国語で「どう説明するか」、
英語で「他文化の人にどう伝えるか」に書き換えさせる演習です。
これにより、「計算できる」から「伝えられる」までスキルを拡張できます。
ただ、塾という事業の特質上、見える形での「結果」は求められますよね。
テストの点数であれば数字で示しやすいですが、
こうした教育的取り組みの価値を、いかに可視化すればよいでしょうか。
例えば、以下のような方法が考えられます。
●プレゼン大会
チームで学びを融合して発表し、保護者・外部審査を招く。
●学習のポートフォリオ
作品、発表、リフレクション(日誌)を冊子化し、進路面談で提示する。
●企業・業界人との対話会
例えばIT×社会課題を扱うキャリアトークで、学びの意味を再構成する機会を設ける。
「将来の進路に直結する学び」であることが、
体験と説明を通じて共感を伴って伝わるのではないでしょうか。
研究でも、「スキルの経済価値は他スキルとの組み合わせに依存する」と示されています。
特にAIスキルは他のスキルとの相補性が高いようで、データによると、
そうしたスキルを持つ人たちは賃金も平均21%増となっていたのだそう。
もちろん「たくさん稼げる人間を育てること」が塾教育の主題ではありませんが、
塾にもこのような「教育の再編集力」自体は必要だと思います。
それが一つのブランド戦略にもなるはずだからです。
また、こうした取り組み自体は、規模の大小や詳細の差こそあれ
すでに類似のアプローチを実施されている塾さんもあるでしょう。
重要なのは、そこに「教科横断的な学びで、再編集された教育に取り組む」という
明確な趣旨をもって臨むことだと思います。
学びの融合イベントを地域向けにオープンにし、保護者さんや教育関係者に見せたり、
講師の研修で「異分野を繋ぐ問いかけ力」など研修し、横断的学びを専門性にしたり、
単発ではなく、年間テーマを決め、継続学習として体現したりなど、
やりようはいくらでもあるはずです。
「文系余剰・理系不足」の試算は、進路選択の指針ではなく「学びのあり方を問う問い」です。
塾として「進学先」を売り物にするだけでなく、
「学び方そのものをデザインできる力を育てる場」としてブランドを築くチャンスとも言えます。
そもそも、学問を実学的な有益性のみで判断して、
実社会で役に立つか立たないかという二項対立で論じるのは
教育が持つ可能性の否定でもあります。
もう少し、私たち教育の提供者が、
リベラルアーツ的発想を持つことが大事ではないでしょうか。
【今回のまとめ】
・文系人材の余剰を、進路選択の指針として捉えない
・教科横断的な取り組みを、塾でも