衆院選が始まる中、各党の教育政策をまとめ・比較した、興味深い記事を見かけました。
<【衆院選公示】無償化拡充や家計支援など 各政党の教育・子育て政策は>※有料記事
https://www.kyobun.co.jp/article/2026012701
各党ともにそれぞれの政策を提言していますが、
共通する理念や方向性も少なくないようです。
ざっくりまとめると、具体的には以下のような感じでしょうか。
●教育費負担の軽減・拡充
家庭の経済的負担を下げ、子どもを育てやすい社会をめざす。
●教育機会の均等化
所得に関係なく教育機会を確保する方向性。
●子育て環境の包括的な改善
保育・学童・学校現場の体制強化や教職員支援など、環境全体を底上げする。
●教育の質の向上と学校現場の改善
教育現場の実務的課題(教員の負担など)の改善を図る。
つまり、選挙でどの党が勝とうと負けようと、
国の方針としてこの方向性で進むことは一致していると言えるわけですよね。
この中で私が特に気になったのは、「教育機会の均等化」です。
家庭の経済的事情によって学ぶ機会が左右される社会を是正しようとする流れは、
教育に関わる者として歓迎すべきものですし、
長期的には社会全体の基礎体力を底上げする方向に働くでしょう。
しかし、塾経営者の立場から考えると、
「教育機会が均等になったとき、子どもたちの学びは本当にフラットになるのか」
という点は気になります。
結論から考言えば、答えは「NO」でしょう。
むしろ、教育機会が均等化すればするほど、
別の格差がより見えにくく、しかし確実に拡大していく可能性があると思います。
社会学では、「文化資本」という考え方があるそうです。
文化資本とは、家庭内で自然に身につく言語能力や思考様式、価値観、
学習への態度などを指します。
これらは教科書や授業時間の増加だけでは補えません。
例えば、日常会話の中で理由を問われる経験が多い子どもと、
指示だけを受け取る経験が多い子どもとでは、
同じ授業を受けても理解の深まり方が異なります。
教育心理学的にも、家庭内での対話量や言語的やりとりの質が、
学力や思考力に強く影響することが分かっています。
幼少期に家庭で浴びる言葉の量の差が、その後の学習成果に影響するというものです。
ここで問題になるのが、
必ずしも所得の高低がそれを決めるのではないという点ではないでしょうか。
各党の政策では、経済的に弱い立場にある家庭や子どもを助け、
いわゆる「経済格差=教育格差」となる流れを断ち切ろうという意思が伺えます。
もちろんそれは大切です。
ただ、上述した社会学や教育心理学的な観点からは、
親が「どう関わればよいか」を知っているかどうか、
その知識や余裕があるかどうかが、結果を分けていきます。
政策的に進められている均等化は、主に「授業料・給食費などの経済的障壁の除去」、
「学校・制度へのアクセスの保証」、「教育資源(時間・教材・制度)の最低ラインの引き上げ」
が挙げられます。
これは言わば、スタート地点とコースへの入場券を揃えることに近いです。
一方、文化資本が影響するのは、「授業をどう理解するか」、「指示をどう解釈するか」、
「つまずきをどう言語化するか」「助けをどう求めるか」といった、
「走っている最中の意思決定」だと言えます。
均等化によって「入場できない子」が減るほど、
差が出る場所は「入場以前」から「プロセスの内部」に移動するわけですね。
この構造が進むと、個別指導塾を利用する家庭の層にも変化が起きそうです。
これまでは「経済的に余裕があるから塾に通わせる」という動機が一定数ありましたが、
家庭での教育費の負担が下がれば、塾通いの敷居も下がる可能性は高いと思います。
すると、単に学校での学習で補えない部分の悩みを塾で解決するというより、
「学校の勉強についていけているのか不安だが、家庭での支え方が分からない」、
あるいは「家庭で支える」という意識を持たない層も増えていくかもしれません。
「関わり方に迷ったり、関わるという意識が低い家庭」の増加です。
このとき、塾が単に学習内容を補完する場にとどまっていると、
保護者さんの潜在的なニーズとは噛み合いません。
成績表の見方、テスト結果への声かけ、家庭学習の促し方など、
保護者さんが日常で直面する判断の連続に対して、具体的な指針を持てないままでは、
教育機会があっても活かしきれないからです。
ここで、これからの個別指導塾が果たしうる重要な役割とは何でしょうか。
それは、子どもに直接教えるだけでなく、保護者さんに対して
「教育的関わり方を翻訳する存在」になることではないかと思います。
専門的な教育用語や指導理論をそのまま伝えるのではなく、
「このタイプの子には、こういう声かけが効果的です」
「今は結果よりもプロセスを一緒に確認してください」といった形で、
家庭で再現可能な行動に落とし込んでいく役割です。
この視点は経営的にも重要です。
授業時間や教科指導の対応力は、他塾との差別化が難しくなりつつあります。
一方で、保護者対応の質、とりわけ「不安を言語化し、次の行動に変える力」は、
簡単に模倣できるものではありません。
面談の時間を単なる報告の場ではなく、
家庭での関わりを設計する場として位置づけ直すことは、
結果的に信頼の蓄積につながります。
また、教育機会の均等化が進むほど、
保護者さんは「選択の責任」を強く感じるようになるでしょう。
無償化などで選択肢が増えるからこそ、「この選択でよかったのか」という迷いも増します。
個別指導塾がその迷いを受け止め、方向性を一緒に整理できる存在であるかどうかは、
短期的な成績以上に、長期的な関係性を左右しうるはずです。
教育政策の大きな流れは、
結果論として「家庭の裁量が大きくなる」方向へ向かうと思います。
同時にそれは「選択による自己責任」もはらんでいると言えるでしょう。
教育の帰結を完全に自己責任にしてしまうのは、決して良いことではないのかもしれません。
ただ、だからこそ個別指導塾が果たすべき役割は、
単なる私教育ではなく、家庭と学校をつなぐ知的インフラであるとも言えるわけです。
教育機会が均等になる時代だからこそ、見えにくい格差に光を当て、
それを埋める実践を積み重ねられるかどうかが、本質的な分かれ目になりそうです。
【今回のまとめ】
・教育格差の経済的是正は、新たな格差を生む可能性もはらむ
・塾が家庭の文化資本を支える役割を意識する
