何かと話題になっている、高校教育改革の「グランドデザイン」。
その中で文科省は、普通科高校の「文系・理系」について、将来的にはなくす方向で、
まずは高校生の文理選択の割合が同じくらいになるようにするそうです。
<“普通科高校の文系理系 生徒の割合同程度に”改革方針 文科省>
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015050951000
社会問題が複雑化・多様化し、その解決のためには文理融合の学びが大事なことや、
諸外国に比べて文理選択が早く、子どもたちの将来を固定しかねない(狭める)ことなどが
主な理由だとは思います。
これによって子どもたちの進路選択肢が増えるのであれば、それはもちろんよいことでしょう。
ただ、個別指導塾の経営という観点から見ると、少し気になることもありました。
「苦手科目」という概念そのものが成立しにくくなるかも? という点です。
従来の学校教育は、教科ごとに能力を切り分けて評価してきました。
数学が苦手、英語が得意、理科が嫌い……このような分類は、
文系・理系という進路区分という意味では非常に相性が良かったんですよね。
苦手な教科を避けられる制度としても機能するからです。
しかし文理の境界が曖昧になれば、この仕組みは成り立ちません。
どちらかと言うと、「教科」そのものよりも、
「思考の使い方」で評価されるようになると思います。
例えば、データ分析をするとしましょう。
そこでは数学的処理はもちろんのこと、文章読解、論理構成、
社会的な文脈理解まで同時に求められますよね?
もう少し具体的に示すと、仮に環境問題を探究するなら、
理科的知識と倫理的判断と統計理解が不可分になる、というイメージです。
そもそも、現実の課題は「教科別」に存在しているわけではないのですから、
考えてみれば当たり前の話なのかもしれません。
この考え方は、教育研究の世界ではすでに主流です。
OECDが提唱した「キー・コンピテンシー」、
すなわち「人が社会で生きていくうえで特に重要視される中核的な能力」も、
知識の量ではなく「複雑な課題に対処する統合的能力」だと説明されています。
つまり、これまで私たち(生徒さんも含む)が「苦手」と称してきたものは、
本質的な属性と言うよりも、単なる学習履歴の結果にすぎないのです。
これを塾経営に当てはめて考えてみましょう。
これまで個別指導塾の価値は、「苦手科目の補習」にありました。
しかし、もし教科の境界が良くも悪くも溶けてしまい、
能力が統合的に評価されるようになれば、
「数学が苦手なので数学を教える」というビジネスモデル自体の理屈が通らなくなります。
では何が必要になるのでしょうか。
私は、科目の得手不得手に意識を奪われすぎず、生徒さんの「思考特性」を診断し、
学習の組み立て方を変える支援が必要になるのではと予測します。
例えば、「資料を読んで考えをまとめる課題」が苦手な生徒さんがいたとしましょう。
従来(教科に当てはめて考える視点)であれば、
このケースなら「国語が苦手」と判断されがちだったと思います。
しかし実際には、情報の取捨選択ができなかったり、因果関係を整理できなかったり、
抽象化が苦手だったりなど、思考プロセスの問題であることが多く、
必ずしも国語力そのものとは限りません。
むしろ、図形化のトレーニングなど、
数学的なサポートのほうが効果的になる可能性があります。
だとすると、塾に求められる役割も、
「教科の再説明」から「思考の再設計」が重要になりますよね。
これはある意味で、経営上のチャンスかもしれません。
なぜなら思考特性の診断や学習プロセス設計は、
現状の学校制度の中では最も苦手とする領域だからです。
学校は集団指導が前提ですから、個々の認知特性まで深く扱うことが難しいんですよね。
学校の先生方の技量の問題ではなく、構造の問題です。
一方で個別指導塾は、この領域に最も適した教育モデルだと言えます。
もし教科別で判断する指導スタイルではなく、
「思考プロファイル診断」「学習戦略コーチング」「課題解決型トレーニング」
などを体系化できれば、面白いかもしれません。
単なる補習機関ではなく「認知発達支援機関」になれる可能性もあります。
加えてここで重要なのは、これは単なるビジネス戦略ではないということです。
苦手科目というラベルは、子どもたちの自己認知を固定化させてしまいます。
「自分は数学が苦手」「自分は文系脳だから」という思い込みは、
子どもたちの可能性や挑戦の機会そのものを奪うものでもありますよね。
しかし、もし「苦手」が教科ではなく「学び方の癖」だと理解できれば、
子どもたちは変化の可能性を実感できるのではないでしょうか。
単に「あなたは数学が苦手だから、数学を頑張りましょう」ではなく、
「こう考えるようにすれば、数学に苦手感がなくなるよ」というアプローチなら、
もっと期待感を持って学びに臨めるはずです。
文理区分の再編が意味するのは、学力の再編です。
そして学力の再編が意味するのは、評価カテゴリーの再定義とも言えます。
もちろん、「教科」という概念そのものがなくなることはないでしょうし、
それに沿ったテストや入試も、これからも続いていくでしょう。
しかし、塾として「どの教科を教えられるか」という切り口は
変えることができるかもしれません。
「どのように人が考えるようになるか」を扱えるかどうかです。
本題からはズレてしまいますが、数学が苦手な生徒さんは、数学が嫌いなのではなく
実は「数学の先生」という個人が嫌い(相性が悪い)なだけ、というのもあるあるですよね(笑)。
必ずしも、教科という概念だけで判断しないほうがいいということです。
そんな視点で、普段の教科指導も考えてみる必要がありそうです。
【今回のまとめ】
・国としては、将来的な文理融合教育を目指している
・教科という区切りだけで判断しないサポート体制をつくる
