福島県いわき市の中学校で、卒業生を祝うはずだった赤飯の給食が、
東日本大震災の発生日と重なったため当日に中止され、
約2100食が廃棄されたというニュースがありました。
<卒業祝いの給食に赤飯、震災15年と重なり2100食分廃棄 福島>
https://www.asahi.com/articles/ASV3F2FX3V3FUGTB001M.html
卒業という節目を祝いたいという思いと、
震災の日に祝い事はふさわしくないのではないかという配慮。
二つの価値が衝突した結果の判断です。
報道にもある通り、この対応には賛否が分かれました。
取りやめるにしても「廃棄」が適切だったのかはさておき、ここで重要なのは、
当然ながら「どちらが正しいか」という単純な問題ではないという点です。
卒業を祝うことは明らかに幸せな行為ですし、
震災で亡くなった方々に思いを寄せることも同様に尊重されるべき態度です。
つまり今回のできごとは、「正しさ」と「正しさ」がぶつかったケースだと捉えるべきで、
二項対立で論じても、結論は出ないでしょう。
このようなケースは、私たち塾の現場でも日常的に起きています。
例えば、ある生徒さんのケースを考えてみてください。
志望校合格のためには、どう見ても学習量が足りない。
そこで講師は宿題を増やし、指導も厳しめにする。
結果として成績は上がり、合格可能性も高まるかもしれませんが、
一方で、その生徒さんは「塾がつらい」と感じ始め、
勉強そのものに苦手意識を持ってしまうかもしれません。
保護者さんによっては「ここまで厳しくしなくても……」と感じる方もいるでしょう。
逆に、子どもの感情を大切にし、無理のないペースで指導を行えば、
生徒さんは安心して通い続けることができるかもしれませんが、
その結果として志望校に届かない可能性が高まるとしたらどうでしょうか。
「もっと厳しくしてほしかった」という不満が後から生まれるかもしれません。
どちらの指導、「子どものため」を思って行われた「善」からきた選択ですが、
ある価値を選べば、別の価値を損なう可能性があります。
しかし、教育とは本質的に「選択」の営みです。
すべての子どもにとって最適な方法が存在するわけではありません。
だから、せめて少しでもそこに近づけるべく、個別指導塾も生まれたわけです。
その個別指導にしたって、やり方はいろいろありますし、
限られた時間の中で何を優先するかを決めなければなりません。
「これが絶対に正しい」という教育は存在せず、結局は
あくまで教育者(塾)と学習者(生徒さん・保護者さん)がどの教育を信じるかなんですよね。
そうであるなら、塾経営において重要になるのは、
「正しいかどうか」ではなく「どの価値を選ぶのか」を明確にすることです。
例えば「当塾は第一志望合格を最優先にします!」という方針を掲げるのであれば、
一定の厳しさは避けられないでしょう。
その結果、合わない生徒さんが出てくることも受け入れる必要があります。
一方で、「子どもが前向きに学び続けることを最優先にする」のであれば、
短期的な成績向上を犠牲にする場面も出てくるでしょう。
どちらを選ぶにしても、そこにはトレードオフが存在します。
問題は、人はついこの選択を曖昧にしてしまうことです。
「成績も上げたいし、子どもも傷つけたくない」「厳しくもしたいし、楽しくもしたい」。
その気持ちはよく分かりますが、現実にはすべてを同時に満たすことは難しいものです。
結果として、場当たり的な対応になり、
理念や個性が分かりにくい塾になってしまいます。
もし、生徒さんや保護者さんが、あなたの塾をお友達に紹介(=クチコミ)するとしましょう。
そのとき、どんな「ひとこと」で紹介してもらえるでしょうか?
楽しい塾? 厳しい塾? 明るく元気な塾? 緊張感がある塾?
そこに統一傾向があるか否か、あるいはその評価があなたの目指した塾の姿なのかどうか、
調べてみるだけでも何かが掴めるかもしれませんね。
今回のニュースにおいて、教育委員会は「総合的に判断した」と説明しています。
この「総合的」という言葉は便利ですが、
裏を返せば「何を最優先したのかが見えにくい」という側面もあります。
赤飯を提供するか否か、どちらを選んだかという問題ではなく、
どういう判断軸でそれを決めたのかが分かることが大事なのだと思います。
ちなみに後追いの報道では、学校に届いた電話は「激しいクレーム」ではなく、
あくまで「どういう了見で赤飯をOKとしたのか」を聞かせてほしいというもので、
話し合いも終始冷静に行われており、通報者も廃棄までは求めていなかったとのこと。
だとすると余計に、「総合的な判断」と言われると、
かえって「事なかれ主義で事態の収束を図った」という印象が強くなってしまいます。
赤飯容認派と反対派、どちらも釈然としない対応だと言えるかもしれません。
それならむしろ「確かに、『3/11に赤飯』は配慮が足りなかったと思うので中止します」で
よかったのではないかと思うのです。
塾経営においては、ここを曖昧にしないほうがよいと思います。
どの価値を優先するのか、その理由は何かを言語化し、
生徒さんや保護者さんに伝えることが大切です。
そうすることで、すべての人を満足させることはできなくても、「納得」は生まれます。
もう一つ重要なのは、「誰も傷つけない教育」は原理的に存在しないという認識です。
受験は選抜であり、合格者がいれば不合格者も出ます。
成績でクラス分けをすれば、上のクラスに入れる子と入れない子が生まれます。
競争を促せば、モチベーションが上がる子もいれば、プレッシャーで苦しくなる子もいます。
それでも私たちは、選ばなければいけません。
そこで必要なのは、「誰のための、どういう教育なのか」を自らに問い続ける姿勢です。
すべての人にとっての最適解がない以上、自分たちが守るべき軸を持つしかないのです。
卒業の赤飯をめぐる今回のニュースは、その難しさを象徴しています。
誰かを思っての行為が、別の誰かにとっては受け入れがたいものになるのは、
避けられない現実です。
「何ができるか」も大事ですが、「何をしないか」も同じくらい大事だということですね。
すべての期待に応えようとするのではなく、
自分たちの価値を定め、その上で選ばれる覚悟を持つ姿勢が、
結果として信頼につながっていくのだと思います。
【今回のまとめ】
・誰かにとってはよいことでも、他の誰かにとっては悪いことになる
・どちらが正しいかで考えるのではなく、「自塾は何を大事にするのか」で考える
