名古屋市の小学校で、年度初めの学級写真を廃止したことをめぐり、
保護者さんとの間に意見の対立が生じているそうです。
<「説明矛盾」学級写真廃止と代替策に保護者反発 名古屋の小学校>
https://news.yahoo.co.jp/articles/10b7369b9052ab6c57778e835cab9a0ca592cc05
学校側はプライバシー保護などを理由に挙げましたが、
行事でのスナップ写真は継続する方針だったことや、
その後、希望者を対象に集合写真を撮影する対応が示されたことに、
「矛盾する」として特に論争となっています。
この中で私が気になったのが、上記の矛盾もふまえて保護者さんから
「学校が何を守りたいのか分からない」という趣旨の意見が出ていたことです。
この言葉は、非常に大きいと思いました。
何かを変えようとするとき、私たちはその理由を説明します。
安全のため、教育効果を高めるため、子どもたちの将来のため……
いずれも、もっともらしい理由ですよね。
しかし、説明したからといって、相手が納得するとは限りません。
逆に、説明を重ねるほど不信感が強まってしまうことさえあります。
今回のニュースも、学校側の説明が不十分だったという一言で片づけるのは簡単でしょう。
だからこそ考えたいのは、そもそも「説明」とは何を伝える行為なのか、ということです。
例えば、塾で宿題の量を減らすことにしたとします。
保護者さんから「もっと宿題を出してほしい」と要望されたとき、
「生徒さんの負担を考慮して判断しました」と答えますよね。
説明として間違ってはいません。
ただ、保護者さんが求めているのは、単に判断の理由を聞くことではないかもしれません。
宿題を減らすことで学力が下がらないのか、家庭学習の習慣が失われないのか、
保護者さんが心配しているのは、判断によって生じる不利益のほうでしょう。
ここで「生徒さんの負担を考えたからです」と繰り返しても、話は噛み合いません。
塾側は負担を減らすことの意義を説明し、
保護者さんは学習機会が減ることへの不安を訴えているからです。
他にも「もっと丁寧に教えてほしい保護者さん×自律的学習を促したい塾」、
「早期の成績向上を望む保護者さん×時間はかかっても基礎固めを重視したい塾」など、
いろんな場面で意思疎通の齟齬は起こり得ます。
このすれ違いを考えるうえでは、社会心理学や法社会学で研究されてきた
「手続き的公正」がという考え方が参考になるかもしれません。
人は自分にとって望ましくない結果であっても、決定の過程が公正だと感じられれば、
決定や、その判断を下した相手を受け入れやすくなるというものです。
この説によると、
1.意見を表明する機会があること
2.判断に一貫性があること
3.敬意をもって扱われること
が大切なのだそう。
ただし気を付けたいのは、相手の希望どおりにすることと、
相手を公正に扱うことは別だという点です。
保護者さんの要望を御用聞きのようにすべて採用する必要はありませんが、
要望の背景にある懸念を理解しようとすることと、
判断の筋道を示すことは必要だということですね。
特に個人(塾長)の教育理念へのこだわりが強い塾さんでは、
「我が塾はこの方針でいく。それに納得できる人だけ入塾してくれればいい」
というスタンスが取られがちです。
それはそれで悪くありませんが、保護者さんや生徒さんの気持ちや考えに
まったく寄り添わないのとは、同じではありません。
では、具体的に何を伝えればよいのでしょうか。
まず、判断の理由を説明する前に、
相手が何を大切にしているのかを言葉にしてみることだと思います。
先ほどの宿題の例なら、「家庭学習の時間を確保し、学力を伸ばしてほしいということですね」と確認する感じです。
これは、単なる共感の言葉ではありません。
保護者さんの主張を「宿題を増やしてほしい」という表面的な要求から、
その背後にある目的へと翻訳する作業です。
保護者さんは、そこを分かってほしいのではないでしょうか。
相手の目的が確認できたら、次に、自分たちが何を優先して判断したのかを説明します。
「宿題を増やすことよりも、授業で学んだ内容を自力で使えるようになることを優先しました。
そのため、量を増やすより、解き直しに時間を使える設計にしています」といった具合です。
ここで重要なのは、「生徒さんのため」といった抽象的な言葉で終わらせないことでしょう。
どのような状態を目指し、何を根拠に、どの選択肢を採ったのか、
判断の基準と実際の対応をつなげて説明します。
さらに、保護者さんの希望するやり方を選ばなかった選択肢についても触れます。
「宿題を増やせば演習量は確保できます。
一方で、間違えた問題を振り返る時間が不足する可能性があります。
今回は後者を避けることを重視しました」
という感じで、何を得て、何を(今回の時点では)諦めるのかを示すのです。
これは、塾側の判断を正当化するためのものではありません。
どんな判断にも、何らかの優先順位とトレードオフがあるものです。
そこに触れることなく「これが最善です」とだけ伝えると、
保護者さんには別の選択肢を検討した形跡が見えません。
それが「自分の意見は聞き入れられなかった」という不満を生むのです。
逆に、何を重視し、どのような不利益を想定したうえで選んだのかが分かれば、
判断の妥当性も具体的に検討できますよね。
もちろん、筋道を説明すれば、必ず納得してもらえるわけではないでしょう。
そもそも、何を大切にすべきかという価値観が違う場合もあるからです。
だからこそ、判断の根拠を伝えて終わりにしないことも大事だと思います。
相手の懸念に照らして、判断の前提に見落としがないかを確かめたり、
実施後にどのような変化があれば方針を見直すのかなども
必要に応じて共有することが大切でしょう。
目指したいのは、相手を言い負かす説明でも、
反対意見を黙らせる論理的正しさでもありません。
自分たちが何を守ろうとしているのか、何を優先し、そのために何を選ばなかったのかを、
相手が検討できる形で示すことです。
たとえその時点では、保護者さんにとって納得できない結論であっても、
その判断に至る過程を理解し、
異論を述べる余地があると思えることが大事なのだと思います。
そのとき初めて、説明は単なる「正当化」から、
信頼を築くための「対話」へと変わるのではないでしょうか。
【今回のまとめ】
・決定事項について、なぜそうしたのかという理由の説明が大事
・同時に、相手の希望よりも自塾の決定を優先した理由も丁寧に伝える
