教育現場へのICT導入もかなり一般化されてきました。
ほんの10年くらい前まではどちらかというとイロモノ的な扱いを受けることも多かったのに、
変化のスピードは本当に早いですね。
一方で、詐欺や誹謗中傷、有害サイト、フェイクニュース、ゲームやスマホ依存など、
デジタル機器やアプリケーション、インターネット上には危険もあふれています。
そうしたリスクへの正しい向き合い方も大事になってきました。
そんな中「デジタルシティズンシップ教育」という言葉が注目されているようです。
先ごろもこんな記事を目にしました。
<デジタルシティズンシップとは何か――1人1台時代のデジタルシティズンシップ>
https://project.nikkeibp.co.jp/pc/atcl/19/06/21/00003/083000380/?P=2
デジタルシティズンシップの明確な定義はないようですが、
簡単に言えば「ICTを積極的かつ適切に利用できるリテラシー」だと考えて良さそうです。
そして、そのための教育が「デジタルシティズンシップ教育」です。
今後の教育×ICTにおける主流の考え方となりそうですので、
私たちもそこへの向き合い方を一緒に考えてみませんか?
まず、上述した定義の中で私がポイントだと思っているのは
「積極的かつ適切に」というニュアンスです。
というのも、従来の教育現場におけるICTリテラシーの考え方とは、
ある意味で真逆の考え方だからです。
これまで、ICTリスクに対する学校などでの教育は「情報モラル教育」として行ってきました。
しかし、リンクの記事の中にもありますが、情報モラル教育の基本的なスタンスは
「危険なものにはさわらせない」という発想です。
学校にスマホを持ち込んではいけませんとか、YouTubeを見るのは1日○時間までとか。
それはそれで一定の意義はあったのでしょうが、
これだけICTが生活の中に浸透しているいま、「臭い物に蓋をする」かのような対応は
現状に即したものとは言えなくなってきました。
確かに、実際にスマホを持っているし、家族も使っていて、生活にも役立つのに、
それらの存在をタブー視して学校(あるいは塾)でのみ禁止というのは
本質的な問題解決にはならないような気がします。
そこで「使わせない」のではなく「正しく使う」力を身に付けたほうがいいのでは?
という発想のもとで生れたのがデジタルシティズンシップ教育です。
ここで私たち塾業界の人間が意識すべきは、
「社会の流れはその方向に向かっている」ということでしょう。
実際、教室内でのスマホ使用を禁止にされている塾さんは多いと思います。
多くの場合「勉強に必要ではなく、妨げになるから」という発想に基づいているのでしょう。
しかし、デジタルシティズンシップの考え方からいくと、
その発想そのものに疑問符がつきます。
本当にスマホは勉強に不要なの?
スマホがあると本当に勉強の邪魔になるの?
ということです。
言われてみれば、そんな気もしてきました。
辞書としての使用や、調べごとにも使えますしね。
もちろん、塾としての方針がありますから、スマホ禁止がダメだという意味ではありません。
ただ「スマホは勉強にとって害悪だから使わせない」という発想は
デジタルシティズンシップ教育とは言えないということですね。
もう一つ気をつけたいのが、デジタルシティズンシップ教育が主流になってくる中で、
塾だけがそこから取り残されないようにしたいということです。
「学校でとっくにスマホOKになっているのに塾では禁止」となると、
生徒さんや保護者さんは「いまどき……」と思うでしょう。
実際、早くからICT教育に積極的だった学校は、
ずいぶん昔から校内でのスマホ利用を許可しています。
数年前、その学校の先生にスマホOKの意図を聞いてみたことがあるのですが、
こんな答えが返ってきました。
「だって、現実として生活の一部になっているものなのに、
存在を認めないような対応はおかしいでしょう?
そんなことだから『学校の常識は社会の非常識』なんて言われるんですよ。
大事なのはどう使うかを正しく教えることであって、スマホ禁止が最善とは思えません」
繰り返しになりますが、塾の方針としてスマホなどを禁止するのは構わないと思います。
ただ、そこに明確な理由や必然性があるのかは考えてみても良いかもしれませんね。
「今までこうだったから、これからもそうである」という発想にならないよう、
柔軟な対応力を身に付けていきましょう。お互いに。
【今回のまとめ】
・スマホ禁止は本当に時代に即した対応と言えるか
・「禁止」から「どう使うか」への転換も大事