かねてより日本国内での遅れが指摘されてきた「ギフテッド教育」に向けて
いよいよ動きがみられそうです。
ギフテッドとは、特異な能力を持ついわゆる「天才児」。
しかし天才であるがゆえに一般の学校教育から「ふきこぼれて」しまい、
その素晴らしい才能を伸ばすことができず、埋もれさせている現状があります。
ふきこぼれどころか、一種の障害のように見なされていたことも。
その原因は、学校における横並び教育を良しとする価値観。
みんなが同じであることが大事で、そこからはみ出す者は劣っているという考え方です。
それが才能の芽を摘み、個性の発揮を押さえつけているということです。
アインシュタインやエジソンなどの偉人が学校に馴染めなかったのは有名な話ですが、
彼らもそうした教育の被害者でもありました。
現代のアメリカではここへの理解が進んでおり、ギフテッドたちを枠にはめてしまわないよう、
彼らの力をさらに伸ばす英才教育「ギフテッド教育」が浸透しています。
日本では特に横並び意識が強く、これを妨げてきましたが、
ついに文科省も重い腰を上げ、2023年度にもその実証実験を開始することが分かりました。
こういう言い方をするとまるで学校が悪いかのようですが、そういうことではなく、
むしろ私たちもそれに加担してきたと言えなくもありません。
日本の教育は「落ちこぼれを作らない」ところが良さでもあり弱点でもあったわけですが、
思えばそのど真ん中にいたのが私たち個別指導塾であったと言えます。
学校の授業についていけない子たちが「落ちこぼれ」ないようにするサポートですが、
あえてひどい言い方で極論を言えば「普通の子」に当てはめようとしているわけですから。
もちろんそこに悪意などありません。
しかし、それは私たちの意識の根底に「普通であること」「みんなと同じであること」が
良いことであるという前提意識があるということなのかもしれませんね。
本来なら、別にテストで平均点(=みんなと同じ)が取れなくても、
自分らしさや特性を活かして社会の中で活躍し、幸せな人生が送れればいいわけで、
平均以下の子どもたちが成績を上げ「普通になったね!」「みんなと同じで良かったね!」
と喜ぶのは、ある意味で奇妙な光景のようにも感じます。
その中にはギフテッドがいるかもしれないのに。
実際の現場(学校)を見てみると、「学校の授業がつまらない」と感じている子や
無理に周りに合わせようとして我慢している子もいるそうです。
それは周囲よりその子が劣っているからではなく、
逆に秀でているからかもしれない可能性を忘れてはいけないでしょう。
識者は「課題は周囲の理解だ」と指摘していますが、確かにそうかもしれません。
そもそも本人も、そして親も自分や我が子がギフテッドであると気付かず、
「人と同じ」になれないことを悩んでいるケースは多いでしょう。
また、ギフテッド教育への理解や技術に長けた教員はまだまだ少ないのが現状で、
対応しようにもできない状態にありました。
その意味で言えば、今回の動きは歓迎すべきことだと思います。
一方でこれは、学習塾業界にとっても新たな市場と言えるかもしれません。
もともと個別指導塾は、学校のマス教育に適応できない(合わない)子を
サポートするために生まれたものですよね。
しかし、これまで私たちは「学校教育の枠に当てはまらない=ついていけない」
という前提で子どもたちをサポートしてきたわけですが、
そのパラダイムシフトを行い「ついていけない」わけではなく「超えている」という視点で
サービスを展開することは可能であると思います。
もちろんこれには専門的な知識や技術習得は欠かせませんが、
「みんなと同じ」からあえて「人と違う」を目指していく教育は、なかなかおもしろそうです。
どのような動きになるか、注目したいところです。
【今回のまとめ】
・塾も横並び教育に加担してきた?
・ギフテッド教育は塾の新たな市場となるか