いよいよやるみたいですね、大阪府!
大阪府が、高校授業料の「完全無償化」に踏み切ったというニュースです。
高校だけでなく、大阪公立大も無償化を進める方針だそうです。
<大阪の高校、授業料完全無償化へ…来年度から段階的に>
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20230510-OYO1T50001/
大阪府は以前から、所得制限を設ける形で「一部無償化」を実施していましたが、
これを撤廃する方向で、実現すれば全国初の画期的な取り組みとなります。
そもそも、日本はOECD加盟国などの諸外国と比べ、
教育費の家庭負担が多すぎると指摘されてきました。
「先進諸国の中で、最も教育に予算を投じない国」と揶揄する声まであったほどです。
これが契機となり、将来的には授業料の無償化が全国に広がっていくかもしれません。
個人的には、素晴らしい英断だと思います。
しかし、仮にそうなったときに、私たち塾経営者はさらに襟元を正す必要が出てくるでしょう。
もし、いつの日か日本全体で授業料の無償化が実現した場合、
「教育費は無料なのが当たり前」という社会認識に変わっていくと思います。
例えば日本では、一部を除いてほとんどの公衆トイレは無料です。
私たちも、それが当たり前だと思いながら生活しています。
しかし、ヨーロッパなどでは公衆トイレが有料であることのほうがむしろ当たり前です。
日本でもお金が必要な公衆トイレはありますが、
「えっ、お金を取るの!?」と思った経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それと同じように、学校の授業料が無償化された社会では、
塾が「お金をいただいて教育行為を行う」ということに対し、
より厳しい目が向けられることになるかもしれません。
「お金を取るなんてけしからん!」とまでは言われなくても、
「本来無料である教育でお金を取るのなら、それなりのクオリティを提供してもらわないと困る」
という考え方は、より強くなるでしょう。
実際、日本の有料公衆トイレはキレイで快適な作りになっていますしね。
お金を払うだけの価値があるということです。
現時点ですでに、一般的な個別指導塾は、学校教育の補完的な役割、
特に学校教育だけでは足りない部分をサポートするミッションを担っていますから、
「この程度のことなら、学校でも対応してもらえる」というのでは話になりません。
「学校なら無料なのに、塾では金まで取ってこの程度か」などと
言われるようなことがあってはなりません。
だからこそ、私たちは「お金をいただいて教育サービスを提供する」ことに対し、
よりシビアに、そして誠実である必要があると思うのです。
特に個別指導塾の根幹である「個別指導」は、
一斉指導型の学校教育では不十分だったり、合わなかったりした層から
「個別に対応してもらえる」ことが強く支持され、今日の社会的認知を築き上げてきました。
しかし現在は、「令和の日本型学校教育」(文科省)でも示されているように、
「個別最適な学びと協働的な学び」の一体的な充実を目指しています。
AIドリルなども広がって、すでに学校でも個別対応の学習は不可能ではなくなり、
個別指導塾があまり強みを持っていない「協働的な学び」まで行おうというのですから、
「今の個別指導塾でできることは、学校でもできる」という時代は近いのかもしれません。
しかも、もしそれが無償なのだとしたら……
教育レベルが高いことで知られる北欧諸国では、以前から教育費が無料です。
必ずしもそれだけが直接的原因ではないでしょうが、
学習塾が存在しない国も少なくありません。
勉強は、学校と家でやれば十分だからです。
例えばフィンランドでは、医学系やアート系など、
専門性が高い進路を希望する生徒向けに有料の入試対策講座くらいは存在するようですが、
それすら教育大臣が「由々しき問題」と懸念を示したほど。
やはり、教育は無償で提供されるべきで、
経済的格差が教育の機会格差になってはいけないと考えているからです。
もちろん、北欧は北欧で、日本は日本なのだから、
一緒にしなくていいと考えることはできるでしょう。
日本が国家として完全に北欧のような教育方針になるかといえば、
可能性はゼロではないものの、まだまだ時間もかかりそうです。
だからこそ、現時点からしっかりと「お金をいただいて教育を提供する」ことに対し、
質を高める意識を改めて再確認すべきではないでしょうか。
お互い、ふんどしを締め直しましょう!
【今回のまとめ】
・教育費が無料になった世界で、塾の存在価値を考える
・今すぐ学校が無償化されてもいいくらい、塾のクオリティを高めておこう