和歌山県の私立高校で起こった、給与未払い等をめぐる先生方のストライキ。
ひとまず授業は再開されたようですが、
報道されているような学校側の対応が事実なら、
これはもう論ずるに値しないほど言語道断です。
その中で、私が気になった記事がこれ。
<「授業スト、先生も葛藤あったのでは」 和歌山の私立高の給料未払い>
https://www.asahi.com/articles/ASQ5D6RZQQ5DPTIL01C.html
ストは権利として認められているとしても、
ストによる授業の中断の被害者となるのは生徒たちです。
記事は「生徒のことを思えば、先生方も悩んだことだろう」という内容で、私も同感です。
そして何より、これが「教育」を仕事にすることの難しさだと思います。
何か問題があったのだとしても、
自分たちを必要としてくれる子どもたちが目の前にいるのに……と思うと、
まるでストをしている自分が悪いような気持ちになってしまいますよね。
以前、誰かがこの構図を「人質ビジネス」と言っているのを聞いて、
「うまいこと言うな」と思ったのを覚えています。
コロナ禍で注目された、「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちが
休みたくても休めないのも同じような理屈かもしれませんね。
例えば、どうしても塾に入りたくて、勉強ができるようになりたくて助けを求めているのだけど、
家庭の経済事情で月謝が払えない子がいたとします。
このとき、あなたならどう判断しますか?
個人塾であれば塾長の判断で、
特例的に月謝を安くしてでもその子を入塾させることもできるでしょう。
賛否両論あるでしょうが、その判断は個人の自由です。
ただ、確実に「これは良くない」と言えるのは、
その価値観を社員や講師にも強制してしまうことで、今回のメルマガの主題はむしろここ。
そのメンタリティは、かなり高い確率で「やりがい搾取」を生み出すからです。
この「やりがい搾取」も、塾業界では以前から指摘されてきた難しい問題です。
どれだけブラックな労働環境になろうとも、「生徒のため」と言ってしまえばそれが錦の御旗。
定時で帰ろうとしたり、休日に休もうとしたりしようものなら
「生徒を思う気持ちはないのか!」と怒られ、「やる気がない」などと言われる始末です。
あえて辛辣な表現をしますが、
やはり自分の正義感に他者を巻き込んではいけないと思います。
もちろん、「採算度外視してでも子どもたちのために!」という志は
本当に素晴らしいものです。
誰しもがマネできるようなことではありません。
しかし、こうしたスーパーマンのような人ほど、
“普通の人”の感覚が理解できない傾向があります。
「自分以外のみんなもこうあるべき」とまでは思ってないにしても、
「自分もできるのだから、キミにもできる」と思ってしまうのはよくあること。
程度の差こそあれ、あなたもそういう経験があるのではないでしょうか。
正直なところ、私にもあります。
でも本当は、自分にできたからといって、他の人にもできるとは限りません。
そしてその考え方が危険なのは、それを人材育成にも適用してしまうことです。
自分自身は能力や志が高く、精神的にもタフであるため
「できない人が、なぜできないか分からない」んですよね。
悪気があるのではなく、本当に分からないのです。
結果として、精神論でしか人を育てることができず、
「仕事ができるようにならないのは努力不足」というレッテルを貼ります。
部下をつぶすタイプのリーダーです。
人は、自分の理解が及ばないものに出会ったとき、
自分を顧みることよりも、まずはそれを否定する心理が働くといいます。
自分が理解できないのは、自分の理解力が足りないからだとは思いもせず、
半ば脊髄反射的に、相手がおかしいからだと思ってしまうのだそうです。
さらに怖いのは、その発想で生徒さんにも接してしまうことでしょう。
今では少なくなったと思いますが、昭和のスパルタ塾ってだいたいそんな感じでしたよね。
かつてのスパルタ塾のような表面的厳しさがなかったとしても、
深層心理でそのような価値観を持っていると、非常に危険です。
特に個別指導塾においては。
当メルマガを読んでくださっているみなさんは、多くが塾経営者だと思います。
そして(苦労しながらでも)現在も経営者であり続けているということは、
きっと人より高い能力をお持ちであるはずです。
だからこそ、一般社員の、講師の、生徒の、
いわゆる「普通の人」たちの気持ちや感覚に共感できる
多様性理解を忘れないでいてほしいと思います。
逆にそれができれば、さらに優れたリーダーとなり、部下からの信頼も厚くなり、
貴塾が組織として強くなっていくのではないでしょうか。
私も、かくありたいと思います。
【今回のまとめ】
・自分ができるから、相手もできると思ってはいけない
・「できない人」の気持ちや感覚を忘れずに