この仕事をしていると、子どもたちから
「何のためにこの勉強をやるのか、意味が分からない」
「こんなことを覚えたって、将来(実社会で)役に立たない」
という不満や疑問をぶつけられたことは、1度や2度ではないと思います。
そんなとき、みなさんはどのように答えてきたでしょうか?
それについて、改めて深く考えさせられる記事を読みました。
<算数の勉強「覚えることが多すぎる」最大の課題…6か国調査>
https://resemom.jp/article/2026/04/14/85785.html
日本を含む各国において、算数の学習課題に関する意識調査を行ったものですが、
中でも注目したいのが、日本の子どもたちは他国に比べ
「何のために(算数を)勉強しているのか分からない」と答えた割合が低かったことです。
個人的には、やや意外な結果だと感じました。
「何のために(算数を)勉強しているのか分からない」と感じている子は、
もっと多いと思っていたからです。
しかし、ここで重要なのは、この数値をどう解釈するかだと思います。
記事では「多くの日本の子供が学習目的を把握している」と書かれていますが、
この調査データだけを見てそう言い切ってしまうのは、やや早計かもしれません。
学ぶ目的が分からない子が少ないということは、
「学ぶ目的を理解している」と前向きに捉えることもできる一方で、
そもそも「学ぶ目的も考えずに学んでいる(作業化している)」可能性もあるからです。
また、さらに別の読み方も成立します。
調査データは算数の学習課題の原因になる要素を示したものですが、
「学ぶ目的が分からない」のは、素因としては実はたいしたことではないという可能性です。
例えば生徒さんが、冒頭で述べたような理由を並べ、
「何のために算数(数学)を学ぶのか分からない」と不満を言ってきたとしましょう。
このとき、多くの方が「なぜ学ぶのか」「学ぶとどんなメリットがあるのか」を
丁寧に説いてきたのではないかと思いますが、
それをしたところで、どれだけ効果があるのかという疑問です。
近年の教育観においては、「なぜ学ぶのか」を説明することが重視されてきました。
「この公式は将来こう使う」「この考え方は社会で役に立つ」といった説明を通じて、
学習意欲を高めようとするアプローチです。
もちろんそれが間違っているとは思いませんし、
動機づけの理論においても、学習内容の価値を理解することは、
学習行動の持続に効果があるとされています。
しかし一方で、「意味が分かればできるようになるのか」「やる気になるのか」
と改めて考えるなら、そこには慎重に向き合う必要があるかもしれません。
現実の学習場面では、「役に立つと分かっているができない」というケースが
非常に多いからです。
例えば割合や関数といった単元は、日常生活やビジネスとの関連を説明しやすい領域です。「割引計算に使う」「データ分析に必要になる」といった説明は比較的容易でしょう。
台形の面積にしても「複雑な地形の面積を割り出すのに役立つ」のは事実ですが、
それを聞いて生徒さんが「そうか!なら算数(数学)を頑張るぞ!」と感じるかは疑問です。
他教科でも、日本史好きな生徒さんが「将来役に立つから」という動機で
学んでいるかと言えば、そうではないような気がします。
要は「できるようにならない」「やる気にならない」理由は他にあって、
「学ぶ意味が分からない」というのは
もっともらしい方便として使われているかもしれないわけですね。
だとすると「学ぶ意味の理解」と「技能の習得」は、別問題であるとも言えます。
学習科学の研究では、理解が進まない要因として「認知負荷」が指摘されています。
新しい概念を学ぶ際、人間のワーキングメモリには限界があり、
処理しきれない情報が増えると理解が止まるという傾向です。
例えば一次関数を学ぶ場面で、
「比例との違い」「グラフの読み取り」「式の操作」といった複数の要素が同時に提示されると、
どこか一つでも基礎が曖昧なままでは全体が崩れてしまいますよね。
このとき、「将来役に立つ」という情報は、
理解を助けるどころか、むしろ負荷を増やす要因になり得ます。
これでは将来困るというプレッシャーや、
「自分は数学が苦手である(自分は文系だ)」といった早急な決めつけで、
自己を低く見積もってラベリングしてしまう可能性もあるでしょう。
また、前提知識の不足も大きな要因です。
分数や小数の理解が不十分なまま割合に進めば
どれだけ丁寧に意味を説明しても、学びが成立しません。
この状態で「大人になったら使うから大事だ」と伝えられても、
生徒さんにとっては「大事なのにできない」という感覚が強まるだけです。
自己効力感の問題も見逃せません。
人は「自分にもできる」という感覚を持てたときに初めて主体的に行動するとされますが、
成功体験が不足している状態では、「学ぶ意味づけ」も有効に働かないでしょう。
やはり「意味はあるが自分にはできない」という認識が強化され、
回避行動につながる可能性があります。
このように見ていくと、「何のために学ぶのかが分からない」という問題は、
少なくとも日本においては主要なボトルネックではない可能性が想像できます。
理解の段差や認知的負荷、成功体験の不足といった別の要因が、
学習停滞の中心にあると考えることができるのではないでしょうか。
塾の現場で私たちは、「この単元はこう役立つ」と説明することに力を入れます。
しかし同時に、「その生徒さんがどこでつまずいているのか」「どの前提が抜けているのか」
「どの順序で積み上げれば理解できるのか」といった設計が十分でなければ、
意味づけはうまく機能しません。
「グラフは社会で役立つ」と説明する前に、
「座標の読み取りは正確か」「比例の理解は定着しているか」といった
基本要素の定着を確認する必要があります。
そして、それぞれの段階で小さな成功体験を積ませることで、
初めて学習は前に進むのだと思います。
重要なのは、意味づけを否定することではありません。
それを過大評価し、「意味を伝えれば動くはずだ」という
前提に立ってしまうのが危険なのです。
学意味は、理解と成功体験の上に乗って初めて実感されるものだと思います。
「できる!」「わかる!」が先にあってこそ、「役に立つ」が意味を持つということですね。
今回の調査結果は、「子どもは意味が分からないから学ばない」という、
ある種の定説に対して疑問を投げかけているとも言えます。
「役に立つかどうか」を説明することと、「できるようになること」は別の問題だと考え、
生徒さんに接する意識を持つことが大事ではないでしょうか。
【今回のまとめ】
・「学ぶ意味」が伝われば生徒さんがやる気になるわけではない
・学ぶ意味付けの前に、基礎の理解と小さな成功体験を
