長崎市の学校給食センターの本格稼働を前に実施される配送リハーサルで、
約2万食が廃棄される可能性が報じられました。
<「調整不足だ」 長崎市の学校給食試行、改善案でも廃棄数1万食>
https://news.yahoo.co.jp/articles/55ee9daa46309d873d768d47985f45940004c6a0
食品ロスという観点から、廃棄に「もったいない」という声が上がるのは自然なことです。
かと言って、リハーサルを行う目的は、
本番での配送トラブルや衛生上の問題を未然に防ぐことにあるわけですから、
リハーサルを中止にすることによって生じるリスクもあります。
同市は現在、作る給食の量を減らすなどして廃棄量を減らす改善案を示していますが、
規定の量を作らなかったことで、見落とすトラブルも出るかもしれません。
市の担当者の方も、判断が難しく大変だろうなと思います。
ここでこのニュースから注目したいのは、
食品ロスの是非だけでなく、「人はどのような損失を損失だと感じるのか」です。
今回、多くの人が問題視したのは、「2万食が廃棄される」という目に見える損失でした。
数字も大きく、映像としても伝わりやすいため、強いインパクトがあります。
しかし、その一方でほとんど見えないものがあることを忘れてはいけません。
それが、先ほども触れた「リハーサルを行ったからこそ防げたかもしれない失敗」です。
もし配送経路に問題が見つかったら。
もし食缶(保温容器)の扱いに不備があったら。
もし提供時間が大きく遅れたら。
リハーサルは、そうした問題を本番前に洗い出すためのものです。
つまり、私たちが見ている2万食は、「失われた給食」ではなく、
「起きなかった事故」と引き換えに支払われたコストとも考えられます。
もちろん、だからと言って食品ロスを軽視してもいいという話ではありません。
リハーサルの方法や規模については、
より効率的な方法がないか検討し続けることは必要だと思います。
ただ、ここで考えたいのは別のことです。
人は「起きた損失」には敏感ですが、
「起きなかった損失」を評価することはあまり得意ではないんですよね。
そもそも「起きていない」わけですから、想像するのも難しいのは仕方ありません。
行動経済学では、人は目の前に現れた損失を強く意識する一方、
未然に防がれた利益や損失を過小評価する傾向があることが知られています。
これは教育やや塾運営の現場でも、実によく起こります。
例えば、新人講師に模擬授業を何度も実施する塾があったとしましょう。
社員や経験豊富な講師が細かな改善点を指摘し、何度もやり直させる過程は、
その時間だけを見れば、「その分、早く実際の授業を担当してもらったほうが売上になる」と
考えることもできます。
しかし、もし研修を十分に行わずに授業を受け持たせれば、
最初の授業を受ける生徒さんが、その講師の「練習相手」になってしまいますよね。
保護者面談も同じです。
事前に生徒さんの状況を整理し、学校の成績や模試結果を確認し、
話す順番を考えておく……
その準備には決して短くない時間がかかりますが、その時間は保護者さんには見えません。
見えるのは、実際に面談する30分や1時間だけです。
もし準備を怠れば、「何となく話をしただけだった」
「うちの子のことをあまり理解していないようだった」という印象を与えかねません。
しかし、そのような信頼の低下は数字になりにくく、
「準備不足が原因だった」と認識されることも少ないでしょう。
教材研究でも、新しい教材を導入する前に全ページへ目を通し、
つまずきやすい箇所を確認し、授業の流れを考える工程は生徒さんから見えません。
しかし、それを省略した結果、「この問題は説明しにくかった」「別の教材のほうがよかった」と
授業中に気付いても、その時間を取り戻すことはできないでしょう。
つまり、教育には「見えない仕事」が数多く存在するのです。
そして困ったことに、その仕事は、うまくいけばいくほど存在感が薄くなります。
トラブルが起きなくても、それが「準備が万端だったからだ」と
評価されることはあまりありません。
「何も起きなかった」が当たり前になってしまうからです。
一方で、準備を省略して問題が起きれば、その失敗だけが強く印象に残ります。
この構造は、組織運営において非常に悩ましいものです。
経営者自身もまた、「見えるコスト」を削減したくなる性分ですからね。
研修時間を短くしたり、面談準備を簡略化したり、教材研究を減らしたりといった行動は、
帳簿の上では効率化に見えます。
しかし、本当に削減されたのはコストでしょうか。
見方を変えれば、それは「コストを未来へ先送りした」だけかもしれません。
あるいは、生徒さんや保護者さんが負担するコストへと形を変えただけなのかもしれません。
そうなんです。
あるコストやリスクを削減することは、そのコストやリスクの所在を、
他の人に転嫁してしまう可能性があるんですね。
もちろん、準備を増やせばよいという単純な話でもありません。
過剰な準備は非効率を生みますし、限られた人員や時間の中では優先順位も必要でしょう。
それでも一つ確かなのは、「見えないから価値がない」と考えてしまうことには、
大きな危うさがあるということです。
塾には、保護者さんや生徒さんには見えない仕事が数多くあります。
そして、その多くは「何も起こらない状態」をつくるための仕事です。
しかし、「何も起こらなかった」のは、誰がどの時点でどんなコストやリスクを払ったのか、
その因果関係を考えるクセをつけるのは悪くないと思います。
今回のニュースは、2万食という数字が印象的でした。
しかし、本当に考えるべきなのは、廃棄される給食だけではありません。
その裏側にある、「起きなかった失敗」の価値です。
貴塾では、日々どのような「見えない仕事」が、
生徒さんや保護者さんの安心を支えているでしょうか。
そして、その価値を、自分たち自身がきちんと評価できているでしょうか。
見える数字を管理することはもちろん重要ですが、
見えない価値を見失わないことも、それと同じくらい重要なのではないでしょうか。
【今回のまとめ】
・「起きなかった」リスクに対するコストを想像してみよう
・見えない価値を軽視しない
