【Vol.1009(2026.06.22)】教育という「善意」からくる落とし穴

福島県内で発生した高校の部活動におけるマイクロバス事故を受け、
多くの高校が制度の確認や見直しに動いていると報じられています。

<鹿児島県教委、公共交通機関の利用「原則」と通知 運動部の校外活動>
https://www.asahi.com/articles/ASV5L4CMTV5LTLTB008M.html

この件で、とある学校の先生にお話を聞くと、事故の事実はもちろん責められるべきだが、
実態として、全国の学校で似たような環境は常態化しており、
慌てて現状のチェックと改善に動いている学校は多いだろうとのことでした。

そこで、もう一歩踏み込んで考えてみたいのが、
「なぜこうした見直しは事故の後に集中するのか」という点です。

このような事故のリスクを、まったく想定できなかったわけではないでしょう。

それにも関わらず、なぜ「ことが起こってから」しか対応できなかったのかということです。

もちろん、個別の判断の是非を論じることが目的ではないですし、
亡くなった生徒さんやご家族のことを思うと、いたたまれません。

だからこそ着目したいのは、
「善意によって支えられている活動ほど、リスクが見えにくくなる」という
教育現場に広く見られる一つの構造です。

部活動はその典型だと思います。

多くの場合、部活動は、顧問の献身や外部指導者の協力、
生徒の意欲といった善意の集合によって成立しているものです。

そのため、そこにある行為は「教育的に価値があるもの」「生徒の成長につながるもの」として
前提的に肯定されやすくなります。

このとき、「その活動は安全か」「その運営は適切か」といった確認を厳しくし過ぎることは、
つい見落とされがちになります。

事故などのリスクを警戒し、「できない」「無理」「何かあったらどうするのか」という姿勢は、
それはそれで「杓子定規だ」「子どもたちのことより自分たちの責任逃れを優先している」
などと責め立てる声も出てくるわけで、学校の先生方も本当に大変だと思います。

今回の事故にしても、
「子どもたちの部活動を充実させてやりたい」という善意と、
「でも、人員や体制・予算には限界がある」という現実の課題がぶつかった結果、
リスクが見落とされてしまった構図だと言えるのかもしれません。

心理学の領域では、これに近い現象として
「モラル・ライセンシング(道徳的免罪)」という概念があるそうです。

人は「自分は良いことをしている」という認識を持つと、
その行為に対する批判的な視点を弱めてしまう傾向を指します。

特に教育活動のように「善」であると強く認識されやすい領域では、
このバイアスがより強く働くとは考えられないでしょうか。

さらに組織論の観点から見ると、善意に依存した運営にはもう一つの特徴があります。

ルールや責任の所在が曖昧になりやすいという点です。

明文化された手続きよりも、「現場の判断」や「これまでの慣習」に委ねられる部分が増え、
結果としてリスク管理が形式化しにくくなります。

「これまで問題がなかったから大丈夫だろう」という経験則が積み重なり、
検証されないまま運用が続く構造が生まれます。

これは塾経営に置き換えても同様です。

例えば校外レクリエーションやイベント、勉強合宿を
実施されている塾さんもいらっしゃると思いますが、
善意や教育的意義の前に、ついリスク管理が軽視されてしまうことがあるかもしれません。

塾運営の日常においても、「生徒さんのために」という思いから
指導時間が延びるケースがあります。

理解するまで付き合うという姿勢は教育的に価値がありますが、
それが常態化するとどうなるでしょうか。

生徒さん側では集中力の低下や疲労の蓄積が起こり、講師側では負担の増大が進みます。

それでも「この子のためだから」という理由で見直されにくく、
その善意こそが塾業界の労務環境をブラック化させた側面は否めないでしょう。

面談や保護者対応でも同じことが言えます。

「この家庭のために」と思って踏み込んだ対応(厳しく指摘するなど)をした結果、
誤解や関係性の悪化が生じることがありますよね。

結果として、問題が顕在化した後に初めて議論されることになります。

重要なのは、善意そのものを否定することではありません。

ビジネスであると割り切った対応をするのも一つの考え方ですが、
小回りの良さが売りの小規模塾がそこに寄りすぎてしまうのも、何だか寂しいですよね。

教育は本質的に、誰かの成長を願う意志によって支えられる営みです。
問題は、その善意があるがゆえに、「検証する視点」が弱まってしまうことにあります。

安全や適切性は、「良い意図があるかどうか」ではなく、
「どのような構造になっているか」によって決まります。

どれだけ理念が正しくても、その運用が検証されていなければ、リスクは潜在し続けます。

そして多くの場合、それは問題が起きて初めて可視化されます。

今回の事故を契機に各校が見直しを進めていることは、
ある意味で健全な反応とも言えるでしょう。

ただし本来問われるべきは、「何が起きたか」だけではなく、
「なぜそれまで見えなかったのか」という点です。

ここに意識を向けなければ、同じ構造は形を変えて繰り返されます。

塾経営においても「これは生徒のためにやっていることだから問題ない」と
無意識に前提化している運営はないか、見直してみることは無意味ではありません。

日々の指導記録や面談記録は「書いていること」自体が目的化していないか。
安全配慮やハラスメント防止のルールは、「存在していること」で安心していないか。
講師の働き方や生徒さんの学習時間は、「善意」によって無理が上書きされていないか。

こうした項目は、一見細かなことのようでいて、
実は組織の健全性を左右する重要なポイントだと思います。

善意と安全は別の軸です。

そして、善意が強い現場ほど、安全は意識的に設計されなければなりません。

むしろ「良いことをしている」という自覚がある場ほど、
あえて冷静に距離を取り、構造として見直す視点が必要になります。

事故やトラブルは、もちろん起きてほしくないものです。

しかし、それを単なる不幸なできごととして受け止めるのか、
自分たちの構造を見直す契機とするのかによって、その意味は大きく変わります。

【今回のまとめ】
・教育現場では「善意」を盾にリスクが見落とされやすい
・慣習的になっている部分に、リスクが潜んでいないか洗い直してみよう

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安多 秀司のアバター 安多 秀司 株式会社リアル・パートナーズ代表

大学卒業後、京都・滋賀・大阪・兵庫等に教室を持つ「成基の個別教育ゴールフリー」に入社。
最年少教室長として、川西教室(兵庫県)で3年間務める。その後、「スタンダード家庭教師サービス」を運営する株式会社スタンダードカンパニーに入社。「個別指導塾スタンダード」の立ち上げに尽力し、事業責任者として30数教室の 新規展開を行う。
その後独立し、平成20年7月「個別教育フォレスト」を設立。開校1ヶ月で35名の入会があり、わずか1ヶ月で損益分岐点を超える。現在はキャンセル待ちの塾として地域No.1の個別指導塾を運営している。
今でも現場主義を貫き、常に通塾中の顧客に対して満足度を高める工夫を実践している。

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